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僕はこうしてカウボーイになった

これは、一人の青年がカウボーイになった人生の記録である。

第1回 I am a trainee!!

第2回 Legend of the Twin Falls

第3回 ランチ生活の始まり

第4回 カウボーイの姿

第5回 開発と開拓

第1回 - I am a trainee!!

藤川 勇 著
 1979年 愛媛 生まれ

国際農業者交流協会というのをご存知だろうか。詳細についてはここでは割愛するが、要は海外農業研修生派遣事業を行っている団体だ。

私は、この派遣事業を通し、2003年6月から2005年6月までの2年間を、農業研修生としてアメリカで過ごした。そして、幸運なことに、この研修期間中の約一年半を、アメリカの牧場でカウボーイとして働くことができた。そこでの経験は、日本ではなかなか体験することのできない貴重なものであった。

れから何回かに亘って、私のアメリカ記、カウボーイ記を紹介することになるが、これは飽くまで私の見たアメリカであり。カウボーイである。ここで「アメリカとはこうだ。カウボーイとはこうだ。」などと述べたところで、それは私の体験に基づくものであって、事実ではあるが答えではない。私は今回の経験から、答えは皆さんそれぞれが持っていればいいものだと思った。カウボーイはスタイルなど目に見えるものだけでなく、内にあるものだと感じたからだ。私の経験が皆さんのカウボーイというものの答えとは違うものかもしれないが、より一層のカウボーイに対する理解の深まりと、そしてまた、これも数多いカウボーイという存在のひとつの姿である、ということを理解していただければと思う。

私は今回の研修に行くまで、旅行者としてしかアメリカを訪れたことはなかった。しかし今回、農業研修生として、また、学生(プログラムの一環として大学で専門知識を学ぶことが出来る)として旅行者とは異なる立場でアメリカ滞在を経験することが出来た。面白いことに、同じアメリカに滞在しながらも、目的、環境の違いによってアメリカは見せる姿が違っていた。 今回、研修生として渡米してみて、旅行や留学などでは絶対に見られないアメリカを私は見たように思う。これは私が参加することとなった研修制度の特異性からきたものではないかと思う。

では、その研修制度とはいったいどういったものなのか、まずそのことについて説明したい。この研修制度には、たくさんのルールや基本となる精神があるが、中でも最も大切なことは「自賄い(じまかない)の精神」ではないかと思う。

*制度や滞在期間は毎年変更しています。例)現在は2年滞在ではなく、1年半。

これは日本での準備期間に必要な費用、渡航費、そして現地での生活費等、すべてを自分で賄わなければならないという意味だ。べつに団体などからの援助がないといった意味でも、親から借りるなどして何とか研修費を工面しろ、などといった意味ではない。必要な金は他人に頼ることなく、すべて自分で用意しろということだ。もちろん仕送りも禁止されている。二年日本を離れるともなれば、家族などから餞別をもらうこともあるだろうが、それらも涙を飲んで日本に置いていかなければならない。このような自賄いの精神が研修最後まで徹底される。

さらに、持って行く物には重量、個数、品目などに制限があり、基本的に農業に必要なものと、生活するうえで最低限必要な物以外は持ち込み禁止となっている。私は、日本文化の紹介をしようと思い、三味線を持って行こうとしたが、協会職員に駄目だと言われ、集合地の東京から実家へ送り返す羽目となった。さらに、カードも含めた金銭の持ち込みも禁止されている。だから、私は現地に到着した時点で数百円しか持ち合わせがなかった。

この様に、私たちはほとんど丸腰で渡米するわけだが、現地でどのように生活するのかといえば、現地で仕事に就き、働いた報酬で生活費を賄う。しかし、報酬は州で定められた最低賃金が原則だ。ちなみに、私のいたアイダホは、当時、月$1,310。しかし、ここからが重要で、研修生の手取りはどの州に配属されても一律月$420と決められていた。足りない分をカジノなどに行って補う、といったことも禁止だ。

では、手取りを差し引いた報酬の残りはどこに行くのかといえば、それらは協会に預けられ研修費用として処理される。生活は苦しいが、研修は遊びではないということを考えれば多少は納得がいく。だからアメリカに行って親の金で車買って白人の彼女と〜なんて考えてるやつには通用しない制度だといえるし、そういった考えを持っていれば、日本での選考の時点で落とされる。

途中帰国は、親か祖父母、もしくは自分が死んだ場合、それか辞退したときのみ許される。盆、正月も関係ない。だから日本に残した彼女がいたとしても、会えるのは2年後だ。現地で彼女を作っても、個人的な理由(旅行など)で仕事を休んではならないし、車、バイクの購入は禁止されているので、ろくにデートもできない。それ以外にも、数多くのルールがある上、農場独自のルールもあるので、自由なことなんて皆無に近い。私のいた農場は、仕事以外での車の運転は禁止されていたので、自分だけでの買い物はおろか、ドライブすらしたことがない。

とにかく留学生や旅行者よりも自由が利かないことは確かだ。そしてこういったなかで送る二年は日本にいるときよりも桁違いに長く感じる。苦悩の連続だ。だからこそ途轍もないことを得るのだが・・・

この制度の主旨は、将来の日本農業のリーダーになる若者の育成である。だから、制約が増え自由がなくなってしまうことは必然といえるだろう。言い換えれば、研修のプログラムは無駄を省き、できる限り農業を通してアメリカを見るようにできているということだ。

自由というのは誰もが望むことだが、研修のように制約があるなかでしか見えないこともたくさんある。一度はこういった経験をすることで、人間の幅も広がり、より豊かな人生を送ることに繋がるのではないだろうか。

しかし、なかにはこの制度を不満に思うものもいる。当然、研修からは見えないこともたくさんあるので、どちらが良くてどちらが悪いなんてことはないだろう。物事の価値なんて自分の捉え方しだいで変わるものだから。

遊びたければそれを目的とする別の方法で渡米すればいい。毎年のように研修では自分の求めているアメリカが見られない、といった理由で中途帰国するものがいる。おそらく彼らは彼らの中にだけ存在する『想像のアメリカ』を求めて行ったのだろう。アメリカという国にひとつの決まった姿などない。ハリウッドもアメリカであれば、テキサスの牧場もアメリカである。それこそ存在する人の数だけアメリカがありルールもある。私達がテレビや雑誌を通して知っているアメリカも間違いではないが、それ以外のアメリカがそれより遥かに多く存在することを知らなければならない。そして、むしろそれらがアメリカという国を形成しているのだ。研修生に限らずアメリカに行くのであれば、理想を求めるのではなく、そこにあるありのままのアメリカをアメリカとして受け入れ、さらに自分の中に新たなアメリカを築かなければならない。

これは移民としてアメリカに生きる皆が通る道だろうと私は思う。理想の中だけで生き続ける人間は結局アメリカでは生きてはいけない。これはたとえ研修生といえど当てはまることだ。私は運命に身を任せる気でいたので研修制度に多少不満を感じるときもあるにはあったが、そこから自分が何を得るのか楽しみだった。

アメリカで研修をするにあったって、日本であらかじめ自分の選考業種を選択しなければならないのだが、私は第一希望から第三希望まで全て「肉牛」と書いた。しかし、実は私は最初からカウボーイにそれほど憧れがあった訳ではない。単純な理由だが、やはりアメリカといえばカウボーイだったし、近年、アメリカでも都市型農業が進み肉牛以外では古き良きアメリカを見ることはできないだろうというのが頭にあったからだ。これは後々になってわかることだが、それはまさに適中だったといえる。2年後、農地にいったはずの仲間が以前より都会的になっていた。アメリカも変わりつつあるのだろう。

日本での県選考では「牛も触ったことないやつが肉牛でいくな」と言われた。それはある程度予想できた回答だった。だから私は、それは新規参入者排除に繋がる、といった趣旨のことを伝え、なんとか了承を得ることができた。

さらに渡米前に二度の講習が行われるのだが、これらは要するに根性試し的な内容だ。倒れそうになるまで筋トレをし、寝る間がないほど勉強する。二回あわせて3週間。地獄だった。

そして最後の関門は2ヶ月の住み込み実習。実際に肉牛農家での実習となるわけだが、ここでは自問自答の繰り返しであった。というのも、私にとって仕事、住み込み、どれをとっても全てがきつかったからだ。当然楽しいはずがない。楽しめ、と自分に言い聞かせてはみるものの、そんなに簡単に変わるはずもなく、つまらないものは、やはりつまらないものでしかなかった。私は毎日、アメリカでの生活を想像したり、持って行く物を考えたりして気を紛らわせてはいたが、それも限界に近づきつつあった。

そんなある日、考えたあげく一つの答えに行き着いた。「つまらないところにきて、つまらないと文句を言う俺が間違ってる。ここで楽しさを求めるのは、ハワイに行って暑いからもっと涼しいところに行きたいって文句たれてるのと同じやん。」

これは、他の人に言わせればなんでもないことなのかもしれないが、当時の私には画期的発見?だった。それからは嘘のように気持ちが楽になり、毎日その「つまらなさ」を楽しんだ。

その考えを応用してアメリカに持って行く物もすぐに決まった。「せっかく何もないところに行くのに、たくさんの物を持って行って、わざわざ日本と同じ環境にするのはもったいない。何もないのなら、その<なにもない>を楽しもう。」これで決まりだった。

私はジーパンとシャツとボブディランのCD1枚をスーツケースに入れ旅立った。

(第2回へ続く)

2006年 2月11日掲載
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