リアルウエスタン > ロデオ > 日本のロデオカウボーイ > 芝原 仁一郎

Chasing The Dream - 芝原 仁一郎

Written by Jin'ichoro Shibahara. 芝原仁一郎


シーズン 2006

2006年 9月15日(金)  入院 (英語版からの翻訳)

旅に繰り出せるまで10ヶ月もかかった。ユタに戻ってからただひたすら座って待っていただけではないが。まず、車を探さなければならない。運良く友人のルイが古い1990年もののホンダプレリュードをくれることになった。幾らか手を加える必要があり、登録を済まして保険をかけなければならなかった。全てを修復するのに3週間もかかって、漸く出発することが出来た。

まず、ワイオミング州コディーに向かった。コディーでは夏の間、毎晩コディー・ナイト・ロデオが行われており、プロ・サーキットを廻る前、練習用に何頭かのブルに乗りたかった。コディー・ナイト・ロデオは6月から7月を通し、8月まで90日間行われ、オクラホマ州のモベッタロデオ社がストックを提供してプロデュースしている。出場料はたった$25で毎晩$100が賞金に足され、大金を勝ち取ることはないが毎日乗ることが出来る。自分は現時点で賞金よりもできるだけ多く乗りたかった。

コディーでの初日、正直言って大分緊張した。何せ牛に乗るのは丸10ヶ月ぶりだったからね。でも、ここ数ヶ月は東京でトレーナーとブルライディングの為の体作りを徹底したし、最初のブルで試したいことも色々あった。漸く時間が迫ってきた。以前同様「ダイナミック・ストレッチ」で準備を開始した−この準備手順は前と何一つ変えてない。女子のバレル・レーシングが行われる間、ブルがシュートに追い込まれた。俺のブルは「1」って奴で右手放出のシュートに入れられた。ベストとシャップスを着け、シュートの裏に立って集中し始めた。ブルライディングが始まり、俺の番も近づいて来たので、マウス・ガードを口に入れ、ヘルメットを被った。俺の番だ。ロープにつけたロージン(松脂)を摩擦で暖め、ロープを手に巻くと既に汗が頬を垂れた。息を深く吸い込み、体を前に移動し、頭を縦に振った。

ゲートが開かれ奴は飛び出すと幾らか蹴ってくれたものの全く方向を変えてくれなかった。何てことは無い。体重を中央に保ち、スパーをしっかりと食い込ませ、ブザーが鳴ると軽く飛び降りた。少し左膝を捻ってしまったが大したことは無い。得点は68点。去年の10月以来の牛にしては悪くはなかったし、賞金も貰えた。あの夜は笑みが絶えず、嬉しい一夜を過ごした。

コディーには一週間滞在し、連続で6頭に乗り、うち3頭を乗りこなす事に成功した。どうにかして徐々に賞金を稼ぎ出した。その後の2週間で4つのPRCA大会に出場し、PCBRAのブルライディングも一つ出た。幸運にもPBRのビルト・フォード・タフ・シリーズへの出場経験を持つ牛2頭に乗ることが出来、乗ってる時は好感触が得られたものの、それと同時にこれらの牛は現時点における自分のレベルを認識させてくれもした。よって、コディーにトンボ返り。コディーではナイトロデオの決勝戦が8月最後の3日間に行われる。ナイトロデオで乗った際の得点が加算されて上位15名の進出者が決定するので、俺も決勝戦進出を志した。

8月26日、土曜日、俺には未だ決勝戦進出を決めるチャンスが3回残されていた。結構ガタイのいいのを引き当て、奴は左手側から出るシュートに入れられた。奴は外へ飛び出ると二回跳んでは左に回り出し、大きく円を描くように回りながらも跳び・蹴りを続けた。ブザーが鳴ると奴と俺は元のシュートぎりぎり前まで戻っていた。詳細は覚えていないが次の瞬間ハングアップとなり、引きずり回されていた。骨盤左側、右腰と左のスパーを踏まれた。ブルファイターが手を解いて救ってくれたが、一人で立つことが出来なかった。救命士が入ってきてアリーナから出るのを手伝ってくれたが、医療室では余りもの激痛の為、ひたすら悲鳴をあげるばかりで、結局救急車を呼ぶ羽目に及んだ。

同市のウェスト・パーク病院でレントゲンを撮られ骨盤骨折と告げられた。骨盤から6〜9cm程の骨が綺麗に折れており、骨盤と骨の破片の間に2cm程の隙間が出来ていた。無論、手術が必要との事。2日後に手術を行い、その後4日ほどを病院で過ごし、知り合いが何人も部屋に会いに来てくれた。

これに関してはちと面白い話がある−ワイオミングにいる間、オーストラリア人のピートとルー、ジョージア州から牛に乗りに来ていたマットとワイオミング出身のブロンコライダー、グラントと部屋を共にしていた。ある日、彼らが病室に会いに来てくれ、「何か必要な物があれば言ってくれ」って言うので「パンツを持ってきてくれ。事故以来換えてないんだ」って俺が言うと彼らはすんなり「OK。持ってくるよ」と答えた。次の日、病室に入ってくると俺にスーパーの袋を投げ、「ほれ。パンツだ」と言う。開けてみるとそこに入っていたのは確かにパンツであったが、パンツはパンツでも白い女性用のTバックだった。俺も含めて全員腹が裂けるかと思ったぐらい爆笑した。ノリの良いとこで事故になったことや、医者に全治8〜10週間と告げられ自分のシーズンが終わったことを確信し落ち込んでいたところでこんなことをされ、彼らのおかげで陰気を笑い飛ばすことが出来た。人生のあの時点を彼らと過ごせたことを嬉しく思う。コディー・ナイト・ロデオの決勝戦には届かなかったものの今シーズンはコディーでの順位を16位で終えられた。労働者の日(9月第1月曜日)にはホストファミリーのジョーンズ夫妻が迎えに来てくれ、ユタまで連れて帰ってくれた。

この場を借りて今年コディーで出会い、お世話になった方々にお礼を申し上げます。ブルライダーのジョッシュ、マット、コディーとジェフ。ベアバックライダーのサリバンとハンク、サドルブロンコライダーのジュリオ、ショーンとコディー、チーム・ローパーのジェーソンとデリル及びシュート・ボスのショーン。救命士のタラと他の婦人方。モベッタロデオ社のマーリーとニッキー。ウェスト・パーク病院のローラ、グレグ、エマリー先生及びその他の病院職員一同(全員の名前を覚えることが出来ず、申し訳御座いません)。ジム牧師と彼の家族、素晴らしい昼食をありがとう!

現在はユタに戻っており、さっきも書いたようにロデオに戻れるのは冬か来春と、大分先のことになりそうだ。負傷したおかげで負債が一挙に激増した。ブルライダー救済基金等に申し込み、これらの負債を御しやすいところまで払い下げ、同時に体を治さねばならない。骨盤以外にも左膝内側の靭帯と右肩も痛めたらしい。仕方ねぇな。

では。

芝原 仁一郎


Real Western
Copyright © 2006 Real Western All Rights Reserved.
無断転載禁止